日本の現代美術史に刻まれた岡本太郎のフレーズ――「うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」
本記事では、この三文(通称「芸術の三原則」)の出典を一次資料レベルで確認し、続いて私・武 盾一郎が掲げる新たな宣言「アーティストのたった一つの責務」を記述します。
1. 出典の事実確認:どこに書かれているのか?
三文は、岡本太郎『今日の芸術—時代を創造するものは誰か』(光文社、1954年刊)において提示された 「芸術の根本条件」として広く知られています。美術専門の用語辞典・解説サイト ARTSCAPE(アートスケープ)は明確に 「岡本が芸術の根本条件として挙げた 『今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない』」 と記述しています。
「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」
※復刊・文庫版の書誌紹介(例:紀伊國屋書店サイトや、 光文社文庫版の書誌情報)でも同文が確認できます。
また、岡本太郎記念館(公式)の年譜は
1954年8月に『今日の芸術』を刊行しベストセラーになった事実を示しています。
以上から、三文の来歴と位置づけ(=原典/年次/「根本条件」)を確認できます。
2. 芸術の三原則を更新する
岡本太郎は既存の価値基準を破壊しようとする意識が主軸です。
それはきっと体制や社会規範や物語がそれなりに堅牢だった時代背景があるでしょう。
例えばマスメディアはとてつもなく強力で世論に影響を与えていたり、世界共産主義革命という大きな物語の賞味期限がまだ切れていなかったり、「男たるもの」、「女たるもの」、なども今よりも確固とした価値基準がしっかりあったと思われます。
だからこそアートは「上手・綺麗・快」へと回収されがちな価値基準をひっくり返す意味がありました。
ARTSCAPEの解説は、この反転のキーワードを「いやったらしい(一種の不快と緊張)」と要約し、
観者を圧倒する力への回路として読み解いています(詳しくは
同解説参照)。
3. 私の宣言:「アーティストのたった一つの責務」
アーティストは、すべてにおいて自由であってよい――ただし、戦争を肯定してはならない。
短句版:自由――ただし反戦。/英訳案:Be free in all things—except endorsing war.
岡本太郎の反転は戦後高度経済成長時代の「価値基準」を問い直しました。
しかし、現在は全く状況が異なっています。
人口は右肩下がり、男女差別は建前上フラット化し、「大きな物語」はソ連と共に崩壊し、AIが登場しました。
上手さ綺麗さ心地よさを強要してたかも知れないアカデミズムも弱体化し、個人の格差が広がります。
強い体制が消え、各々がエコーチェンバーで分断されていく中、「綺麗」「上手」「心地よい」ことに対して強くアンチテーゼを発する意味は消失していると言えるでしょう。
逆張りの反骨を気取り、不快を与えるベクトルを持つ作品の方が薄っぺらく感じてしまうことすらあるでしょう。
岡本太郎の芸術の三原則にも賞味期限があったのです。
そこでこの原則を更新する必要があると思い、ここに「アーティストのたった一つの責務」を宣言しておきます。
アーティストはなんでもありです。寝てるだけでも良いのです。世の中の役に立っても役に立たなくてもどちらでも構いません。
綺麗でも醜悪でも、上手でも下手でも、心地よくても不快でも良いでしょう。
アーティストは、方法やスタイルにおいて自由である。
しかし、戦争の正当化だけは、表現の自由の名のもとでもやってはいけない。これは作品制作・展示・販売・発信にまで及ぶ「態度」です。
4. でも、守れなくても良い
ただ、経済合理性やリアリズムによって、屈してしまうことがあるかも知れません。
その時は、「自分の可愛さあまりに唯一の責務を放棄した」という自覚を認識しておくことだと思います。
なぜ、屈してしまう可能性を含めたのかと言いますと、東日本大震災で福島原発が爆発した時に思ったのです。
私は国家と東電に心底幻滅しました。
自給自足を目指そうとも思いました。
しかし、自給自足するには広大な土地を持っていないとなりません。
そして、もし「原発のPRをしてくれ」と国や巨大企業から頼まれたら、
大金を積まれ、将来は権威的な地位を約束してくれる、と言われたら? と考えた時、
どうしたら良いのか?
「池袋モンパルナス」があった時代、政府からの要請で戦争画を描いた画家たちもいた。
彼らを悪として糾弾してしまうのは簡単だけど、知れば知るほど判断が難しいことも分かってくる。
そこで、みうらじゅんさんを思い出しました。
以下引用。
イラストレーターのみうらじゅんさんは2011年4月22日、ニコニコ本社で公開生放送された「吉田照美&みうらじゅん ときどきアートライフ」で、東京電力から仕事の依頼があったが、「全部断った」と明かした。
みうらさんは、東電の仕事について「4コマ漫画を書いてくれと言われた。ギャラはすごくいいです。ゼロがいっぱい」と暴露。これに対して、フリーアナウンサーの吉田照美さんが「インターネットでは東電の仕事のギャラは、500万円とか言われているけど・・・」と問いかけると、「もっと上でした」と返答。それでも「全部断った」という理由について、みうらさんは、
「僕みたいなやつにたくさんギャラをくれるのは、あやしいじゃないですか」
と笑いを誘いつつ明かした。
私はお金に困っているのでそんな風にカッコ良く断れないことに愕然として泣きました。
弱くて貧しいと理想を貫くことはできず、経済合理性や現実に屈してしまうのです。
で、それはそれで仕方のないことだと思うようになったのです。
そのことについては過去にブログに書いていました。
▷ 「美味しんぼの鼻血騒動で、もう一度原発について考えた」
引用します。
僕は当時、自分に問いた。
ある日、東電と政府の人がやってきた。
「原発をPRする作品を作ってください」と。
「一千万円の金と、それから大学の先生にしてあげましょう。退職後はいくらでも天下り先があります」、と。
貧しい僕は考えた。考えて、考えて、考えた。
僕の将来は何の保証もない。
僕に高いギャラを払ってくれるクライアントもまだいない。そして将来そんなチャンスがあるとも限らない。
毎日、不安で苦しい。
稼げない自分が辛い。
評価されない自分が情けない。
これから先、生きていけるかも分からない。
そう、僕は、買収される。
貧しいから。不安だから。そして、弱いから。
みうらじゅんとは違うんだ。
それが分かった。
僕は悔しくて、ちょっと泣いた。
原発を受け入れてしまった人たち、そして日々の糧として原発で労働する、原発が必要な人たち。
原発なんて、なくなって欲しいけど。けど、自分も一緒じゃないか。
食いっぱぐれない人間だったら、
生きてくのに自信のある人間だったら、
どんなにか、いいか。。。
僕がやったことといったら10Aにして東電にお金を払わないようにすることだった。けど、生活が不便で1年で20Aにした。
本当に原発反対なら自家発電でもやるはずだけど、何もしてない。
これが僕の原発に対する生き方としての態度だろう。
情けなくて、ちょっと泣ける。
そして僕は「原発反対」と声高には言えなくなった。言わなくなった。
上記の自分が正しいとは思わない。
だけど、自分なりに考えてやってみた結果、大したことなどできないし、思った通りに生きていくこともできないことを思い知ったのだ。
なので、宣言に挫折しても、仕方ないよ、って自分を許してあげるようにはしておくことにしたのです。
ぬる過ぎる岡本太郎の芸術の三原則批評でしたが、ここからまた始めてみて、しばらくしたら見返してみて、
もし、今よりもしたたかになっていたら、力強く理想を掲げるような言い方に変えようと思う、
相変わらず、弱いまんまだったら、それはそれとして、生きていれば良し、としよう。
参考文献・リンク
-
ARTSCAPE「『今日の芸術』岡本太郎」:
https://artscape.jp/artword/5945/
「芸術の根本条件」と三文の引用・位置づけの解説。 -
紀伊國屋書店 書誌ページ(光文社文庫『今日の芸術—時代を創造するものは誰か』):
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784334793111
内容説明に三文を明記。 -
岡本太郎記念館 年譜(1954年8月『今日の芸術』刊):
https://taro-okamoto.or.jp/taro-okamoto/chorology/
刊行年次・ベストセラー化の一次情報。 -
(補助)光文社文庫版の書誌情報(Amazon):
https://www.amazon.co.jp/dp/4334793118
※三文はひらがな表記(「ここちよく」)と漢字+かな(「心地よく」)の両表記が出回っていますが、意味は同一です。
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