映画『ら・かんぱねら』の感想文(ネタバレしてます)



監督の鈴木一美さんは弥世さんの古くからのお知り合いで、
プロデューサーだったのですが、今回初の映画監督に挑戦したそうです。
しかも、単身佐賀に乗り込んで住み込み、「イチ」から映画を作ったとのこと。

試写会にお邪魔させていただいたのですが、
とても素敵な方で、精力的に活動されていて、
本当に凄いと思いました。


敬意を込めてガチ感想文と応援文を書きました。



物語は、佐賀のノリ漁師 徳永義昭さんが 52歳から7年間かけてリスト〈ラ・カンパネラ〉を習得した 実話がモデルとなっています。
ネタバレの見どころを先に言ってしまうと、主人公徳田時生を演じる伊原剛志さんが半年間の猛特訓を経て同曲を“ 実演 ”するラストシーン。

私はこのシーンでボロボロ泣いてしまい、ついでに唾が気管に入ってむせてしまい、咳き込みながら泣くという嗚咽状態になってしまいました。
「あちゃ〜周りに迷惑〜!」と内心焦りまくりました。


実話をモデルとしながら昭和ドラマな演出の『ら・かんぱねら』。
自主映画旋風『カメラを止めるな』『侍タイムスリッパー』に続く第三派となって日本アカデミー賞も狙えるかも知れないと思ったのでした。

  • 2018年 『カメラを止めるな!』――制作費300万円で興収30億円の社会現象。
  • 2024年 『侍タイムスリッパー』――「カメ止め再来」の声とともに全国拡大公開。
  • 2025年 『ら・かんぱねら』――監督ひとりの妄想×現場の汗で第三波を狙う。


“ひとりの想像力”が勝つ時代

大資本が統計的「ヒット方程式」を算出して作るのが映画の定番となっている一方で
“ひとりの想像力” が観客を動かして話題になるというのが、ここ最近の流れ。

今年の米アカデミー長編アニメ賞ではラトビア産インディーズ 『Flow』がディズニー/ピクサー勢を押しのけて受賞。

潤沢な資金で見せるポリティカルコレクトよりも、「個人ビジョンの純度」 が求められていて、『ら・かんぱねら』はその追い風を全身で受けています。

実話をベースにしながら物語はファンタジックで、ドキュメンタリーというよりも昭和のドラマ演出という感じで進んでいくけど、最後に役者の拙い実演が流れる。
上手な人が下手っぽく弾いてるのではなく、下手な人が本気で演奏している下手さなのだ。

懐かしいベタなドラマ風演出が続いてきたところで「生(なま)なもの」が突然現れ、
その演奏がまるで「アール・ブリュット」絵画のような魅力的な光を放つ、
と同時に、映画のメタ構造があらわになり、「なんじゃこりゃ?!」となるのだ。

途中で演奏の雰囲気が変わるのでひょっとしたら別の演奏と繋げていて、「完全なる一発の生」ではないかも知れないけど、
もし本当にそうだとしても、舞台セットの裏側の骨組みが見えてしまうことも込みのどこかメタ構造が仕込まれてる映画と捉えて良いと思うのです。

『侍タイムスリッパー』では「本物の侍」が〈役者として殺陣を学ぶ〉というメタ的なレイヤーになっていて、
ラストのチャンバラでは “真剣で一発撮り” を掲げ、〈撮影のリアル〉そのものをクライマックスにして、
「これ、本当に真剣で撮影してるのかな?」というメタ視点を観る側にもたらしてしまいます。

このファンタジーとリアルを行き来するメタ構造な感じは『カメラを止めるな』も同様で、
何か一連の流れを感じます。

(ただ、ひょっとしたら鈴木監督はメタ構造は意図していないかも知れないですが、、、)


“女性献身ファンタジー”を支える土地と昭和風のリアリティ

物語では、時生の妻・奈々子(南果歩)が あり得ないほど献身的 に夫を支える。
経理、家事、義理の父の介護、夫の世話、夫の工場での労働、夫の漁への見送り、、、
これだけでも「田舎の長男の嫁にだけは行くな」という女性からよく聞く言葉を思い出します。

夫の家に入り自分がピアノを志した夢を断念したことに加えて、
夫の夢「ピアノを弾く」ことへの理解とフォロー、曲の採譜、さらには、夫のピアノの成果までも聴いてあげているんですよね。



学生の頃、彼氏にやられて最も迷惑なことのベストワンに「オリジナルソングをフォークギターで聞かされる」といった内容の雑誌があったことを思い出し、
実際に学生時代、「君のために」と言って好きな女性にオリジナルラブソングを弾いて聴かせた先輩の話が「痛くてダサい伝説」となって笑えるネタとして受け継がれていたことも思い出してしまいました。

男子が最もやりがちだけど女子が最もゲンナリしてしまう行為の代表として「彼女に捧げる演奏」がある。


たった1人の演奏会に呼ばれて、下手くそな演奏を聴かされて涙するラストシーンの妻・奈々子はもはや「幼子(おさなご)の聖母」である。

面白いのは、これはオリジナル・ストーリーではなくて、事実がベースとなったドラマであるところなのだ。

舞台となる佐賀は、男尊女卑のイメージがあり、私もそのような印象を持っている。
それは地域への偏見だと思うが、この偏見が、“献身ファンタジー”を現実に着地させていて、物語に独特の説得力を与えている。

演出が「ベタな昭和ドラマ風」なのも功を奏している。
これが令和らしい演出だったらやっぱり無理が出てきてしまうでしょう。


これらの「男子の妄想の完全再現」を奇跡的に達成しているところもこの映画の凄さなのです。
なのですが、この「聖母信仰と昭和ロマン」は吉と出るか凶と出るかは、全く予想がつきません。

応援の言葉

ノスタルジックで昭和レトロのベタな演出、
“ガチ演奏”が放つアール・ブリュットのような光、
地域が孕む矛盾も呑み込み、
それらを束ねるのは、きっと、鈴木一美監督ひとりの妄想の純度

『カメラを止めるな』、『侍タイムスリッパー』、インディーズ旋風はまだ吹き荒れているし、最近の映画の流れに見事に乗っている感じもある。

『ら・かんぱねら』がその風に
もうひとつの鐘を鳴らす日を期待しています!


埼玉では上映されてないのですが、
海のない埼玉県上尾市で『ら・かんぱねら』が上映されますように!


最後までお読みいただき有り難うございました!


銀河鉄道とアート

私は、ずっと前から心のどこかで思っていたことがありました。
それは「銀河鉄道」のようなアートをやりたいということでした。

宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』に描かれる、あの旅路。
ジョバンニはカムパネルラと共に銀河鉄道で旅をしますが、カムパネルラは死んでいます。
死者の魂とともに列車でひとときを過ごし、彼を死の世界へ送り、ジョバンニはカムパネルラの死を受け止めるのですが、
その旅路があったおかげで、癒され、現実に戻って生きていく力を得るのです。
銀河鉄道は生と死の狭間にあり、それ故に夢とも現実ともつかない不思議な世界が広がっている。

ほんのいっときカムパネルラに寄り添って黄泉の世界へ送っていく「銀河鉄道」こそ、
アートの重要な役割だと私は感じていました。

人は誰しも、大切な存在との別れを経験します。
その喪失の痛みは励ましだけで癒すことはできません。
静かに寄り添い、共に感じる空間と時間があれば、現実を受け入れることができるのではないか?
私が創るアートは「銀河鉄道」のようでありたい、と、そういった思いがあったのです。


展示会での出来事

先日の〖13月世の白雪姫〗 新作挿絵と呪薬(ジュエリー)展 Vol.2では、
身内を失った方が何人かいらっしゃり、話を伺いました。

辛い思いをされている中、御来廊くださり、私たちの作品に触れ、
十三月世大使館で共に時間を過し、
「心が軽くなった」「来てよかった」と言ってもらえて、
私も本当に有り難いと思いました。


銀河鉄道としての十三月世大使館

そして、展覧会も終わり、ふと「銀河鉄道」のことを思い出したのです。
「十三月世大使館」が「銀河鉄道」のような場所に成れて来ているのではないか、と。
「この世(12月世)」と、「あの世(13月世)」を繋ぐ列車。
その旅に同乗し、ともに涙し、ともに微笑み、
最後には「ありがとう」と言って手を振る。
そんな魂の旅の「場」として「十三月世大使館」。

「芸術」はとても多彩なので一概に「これだ」、というのは難しいのですが、
私にとっての芸術とはこのような魂の触れ合いがある「場」であると考えています。

芸術は、魂を運ぶ列車の一両になれる。癒しと再生の風景を届けることができる。


祈りのかたちとしてのアート

これからも私は「銀河鉄道」が走る「間(あわい)」に在り続けて行きたい。
それこそファンタジーであり、" 祈りのかたち "だと思うのです。

十三月世というもうひとつの世界があり、
この世界(12月世)との狭間に建つ十三月世大使館。
誰かの心の旅に寄り添う銀河鉄道としての十三月世大使館。


死後の世界を含んだ「絵画観」

そして私は作品のなかに「死後の世界がある」という宗教観を設定しています。
その理由は、特定の宗教に属するものではなく「絵画観」から来ています。
絵画制作中とは絵にとっての「人生」であり、絵の完成はすなわち絵画にとっては人生の「死」である。
そして、作品発表は「死後の世界」となるのです。
なので絵画には「涅槃性」があると私は考えているからです。


十三月世大使館という「銀河鉄道の車両」

十三月世という神話的で詩的な世界観の中に、生と死を超えた意識の旅があるのです。
十三月世大使館は銀河鉄道の車両のひとつでありたい。

アートを通して、生に意味を与え、死後の世界を想定し、命を祝福し、
失った存在は「なお此処に居る」という感覚を届けていきたい。
十三月世の世界観がその受け皿となることを私は望み、また、信じています。



最後まで読んでいただいて有り難うございました!

AIは「左脳人間の超進化版」ではない──AIは右脳型?

「AIって、理屈で動く“超・左脳人間”みたいなものじゃないの?」
そんなイメージ、私たちの中にありませんか?
確かにコンピュータは論理で動くし、AIも大量のデータを処理して答えを出します。
まさに“ウルトラ理屈人間”のように思えます。
でも実は、ChatGPTのような生成AIは、そのイメージとは真逆の性質を持っています。

ロボマインド・プロジェクトの田方篤志さんは、興味深いことを言いました。
「今のAIは“右脳型”なんです」と。
これが本当なら、私たちのAI観は大きく方向修正する必要があるかもしれません。

参照▷564.ハラリの勘違い。はたしてAIは右脳か左脳か。 ユヴァル・ノア・ハラリ NEXUS⑧ 情報の人類史 #ロボマインド・プロジェクト



1|「左脳AI」だと思われがちな理由

昔のAI──たとえばチェスAIやルールベースのエキスパートシステム──は、まさに論理と計算の塊でした。
また、私たち人間が「考える=左脳で論理的に処理すること」だと思いがちなのも大きな理由です。

でもこれは、脳科学的にもAI工学的にも、今では古いイメージのようです。




2|脳科学で見る:意味を理解するのは左脳、でも“今を感じる”のは右脳

脳にはざっくりと
「左脳=論理・言語・時間軸」
「右脳=感覚・直感・空間認識」
の役割があります。

左脳は“意味を操作”し、右脳は“意味づけの前の世界”を感じ取る。
脳卒中から回復した神経科学者ジル・ボルト・テイラー氏は、左脳の機能が止まったとき「世界と自分の境界がなくなり、今この瞬間しか感じられなかった」と語っています。




3|LLM(大規模言語モデル)は論理ではなくパターンで動いている

ChatGPTのようなAIは、論理的に演繹して答えを出しているわけではありません。
AIは大量の文章を学習して、「この単語のあとには、この単語が来やすい」というパターンをひたすら記憶し、次に出すべき単語を予測しています。

つまり、AIが得意なのは、意味の理解ではなく、パターンの再現なのです。
これは脳科学でいうと、むしろ右脳的な処理に近いものです。

📝補足:AIと人間の推論の違い

項目人間AI(LLM)
推論スタイル帰納+演繹(+意味理解)統計的パターン予測(帰納)
意味理解あり(主観・概念ベース)なし(形式パターンのみ)
創造性内的文脈・感情に基づく類似事例の再構成

人間は左脳と右脳の統合によって世界を深く理解します。AIはその一部を模倣しているに過ぎません。

したがって、AIの能力を評価する際は「人間のような思考をしている」と誤解せず、あくまで“言語的な鏡”として見ることが重要です。




4|田方さんの指摘:「今のAIは右脳的」

ロボマインドの田方さんは、こうした生成AIの特性に着目して「AIは右脳型だ」と表現しました。
確かに、AIは写真・イラスト・音楽・自然な会話を“意味を考えずに”それっぽく出力できます。
これは右脳的な直感処理、つまり「言葉にならないけど自然に感じる」という知覚パターンに近いのです。

とはいえ、これは比喩的な説明です。科学的にAIが本当に右脳のような構造を持っているわけではありません。
でも、「AI=論理と理屈のかたまり」という誤解を壊すには、この比喩はとても有効なのです。




5|結論:AIは「超・左脳人間」ではない

私たちはつい、AIを“左脳人間の究極進化系”と見てしまいます。
でも実際には、AIは意味や論理を理解しているわけではなく、膨大な知覚パターンを統計的に扱っている存在です。

この性質は、直感・感覚・即応性に強い右脳の働きに、ある意味で近い。
だからこそ、AIの思考を過大評価せず、「意味を持たないのに、意味ありげに見える鏡」として向き合うことが、これからの私たちに求められているのだと思います。





このブログエントリーはロボマインドプロジェクトの田方さんが主張されている「AIは右脳型である」主張に関してチャッピーにどうなのかを聞いてブログ記事として出力させたものを手直ししたものです。
冒頭のイメージイラストもチャッピーに出力してもらい、タイトル文字部分はPhotoshopで修正しました。
楽しんでいただけましたでしょうか。
最後までお読みいただき有り難うございました!

『NEXUS 情報の人類史』を読み解く —ロボマインドと岡田斗司夫、2つの視点とAIについて—

チャッピーに描いてもらいました。何度か修正したけど漢字の「聖」が出せなかったのでPhotoshopで似たフォントを探して雑に貼り付けました(ちょっとバレバレ)。AIの尻拭いがこれからのクリエイターの仕事かも知れない。。。

はじめに

ユヴァル・ノア・ハラリの最新作『NEXUS 情報の人類史』が話題です。
私は『サピエンス全史』『ホモ・デウス』『21Lessons』と全て持っていて大好きなんです。
何がすごいってめっちゃ面白いくて示唆に富むんだけど、予言は全てハズレているところなんです!
今回、この新作でハラリさんが「こうなってしまう!」と私たちに警鐘を鳴らしているところは、「ハズレる」という意味において参考になると思い、解説動画をいろいろ聞いてみました。
私たちの世界を「情報ネットワーク」というレンズで丸ごと捉え直す壮大な試みがこの本なのですが、
やっぱり面白い解説動画はロボマインド岡田斗司夫さんです。
本記事では、その解釈の違いを分かりやすく整理し、読者が自分なりの “NEXUS コンパス” を手に入れられるよう案内します。

チャッピーが。


1|『NEXUS』の核心を 90 秒で

  1. 情報は人類史の燃料であり、羊皮紙に書かれた神話も、クラウドに眠るビッグデータも「ネットワークを編む力」という一点で連続している。
  2. その情報は大きく「物語(Narrative)」と「リスト(List)」に分けられる。前者は世界観を共有し、後者は世界を管理・操作する。
  3. AI はこの流れの延長線上にあるが、“人間以外の意思決定者” になり得る点で、歴史のゲームルールを塗り替える存在だ。

2|ロボマインド:可変性で読む『NEXUS』

🔑 キーワード:聖典型 vs 科学型

  • 聖典型情報=「書き換え不可」。宗教や国家神話のように、人を束ねる絶対的な軸。
  • 科学型情報=「検証&上書き可能」。実験データやオープンソースのように、誤りを潰して進化する。

▶︎ ロボマインドの主張

  1. AI 設計図としての『NEXUS』 — 聖典をハードコードした AI は「修正不能の神託マシン」になる危険がある。
  2. 解決策はアップデート・ループ — 科学型の“自己修正エンジン”をアルゴリズムに組み込み、「共感+訂正」ができる修正可能な神を目指す。
  3. 実証スタイル — 兵庫県知事の賛否分析や GAFA の「脳内エネルギー採掘」モデルなど、毎回 AI への応用例を提示。

補足|右脳と左脳から見るAIとハラリの盲点



ロボマインドの動画「第564回 NEXUS⑧ ハラリが見逃していること」では、ハラリのAI観に対して脳科学の視点から異論が提示されました。

特に注目すべきは、「AIの知能は右脳型である」という視点で、この指摘をしている人はロボマインドの田方さん以外でまず見かけません。
実はAIは論理的思考が苦手ということは案外知られていないんです。

例えば、『最新AI数学能力の真実とは?数学オリンピアード問題で全モデルが平均5%未満の惨敗(2025-03)【論文解説シリーズ】』では、
1. 主要な発見:
研究では、6つの【USAMO2025】問題に対して6つの最先端【LLM推論能力】モデルを評価し、すべてのモデルが【数学的厳密性】の面で著しく低いパフォーマンスを示しました。最高スコアでも平均5%未満で、【論理的誤謬】、不当な仮定、【証明生成】の創造性不足などの一般的な失敗パターンが特定されました。これは【AI数学能力評価】における深刻なギャップを示しています。
と、解説しています。これは「AIは左脳の重要な機能である意味理解ができていない」ということではないでしょうか?

AIは右脳型・左脳型?
  • 左脳=言語、論理、因果、物語。ハラリが前提にしているのはこちら。
  • 右脳=イメージ、音楽、直感、パターン。現在の生成AIが得意なのはこちら。

ハラリは、AIが知能を持てば人類を支配するようになると警鐘を鳴らしますが、これは左脳型知能を持つAIを想定しているとロボマインドは指摘します。

一方で、今のAIは音楽・画像・自然な文章の生成に長けていますが、物語構造や意味の理解には弱く、まさに右脳的な知能です。
さらに右脳には「自分」や「時間」の明確な感覚がなく、野心や支配欲も生まれにくいため、ハラリのような“支配するAI”像は右脳AIには当てはまらない可能性があるのです。

この補足を踏まえると、AIと人類の未来を読み解くには、「AIは右脳か左脳か?」という視点を持つことが欠かせないと言えるでしょう。


3|岡田斗司夫:用途で読む『NEXUS』

🔑 キーワード:知恵 vs

  • 知恵 (Wisdom)=世界を深く理解し、長期視点で判断する光。
  • 力 (Power)=大衆の感情を動かし、短期的に行動を促す武器。

▶︎ オタキングの主張

  1. ポピュリズムの正体 — 現代は情報を「力」としてのみ扱い、「知恵」を省いた決断が拡散する危うい時代。
  2. AI リスクは人間側にあり — AI そのものより、“便利だから” と集中構造を進める人間の習性が最大の脅威。
  3. 読書ガイドとしての『NEXUS』 — 厚い本で迷わないために「章タイトル→問い立て→物語/データ対比」の読解メソッドを提案。

4|ここが違う! \"情報観\" のクロス比較

観点ロボマインド岡田斗司夫
分類軸可変性:〈聖典〉 or 〈科学〉用途:〈知恵〉 or 〈力〉
危惧修正不能 AI が暴走力だけの情報が感情暴走
処方箋自己修正ループをシステムに埋め込むユーザーに批判的リテラシーを植え付ける
ゴール“修正可能な神” の創造“知恵優位の市民” の育成

ポイント:ロボマインドはシステム内面を、岡田さんはユーザー側面を強化しようとしている。


5|実践ガイド ― 二重レンズで世界を読み解く

ロボマインドの〈システムを修正する視点〉と岡田斗司夫さんの〈ユーザーが賢くなる視点〉。2つのレンズを自在に切り替えると、作品づくりも日常の情報摂取もグッと立体的になります。

  • クリエイター視点:物語を“聖典”として打ち立てつつ、裏で 科学型アップデート を回し、世界観を育てる。
  • リスナー/読者視点:「これは 知恵 か?」と自問し、心が動く理由を観察する。
  • AI時代の市民視点:可変システム+批判的リテラシーの両輪で、修正可能 × 知恵優位 の社会デザインを目指す。

おわりに

岡田斗司夫さんは『NEXUS 情報の人類史』を「反トランプの警鐘本」と読み解きます。
一方で、ハラリはこれまでも大胆な予測を外してきた“ハズれ名人”。
もし今回も例に漏れないとすれば、トランプ現象はむしろ次の時代を開く触媒になる──そんな逆説も成り立ちます。

短期間の独裁・帝国化なら世界の景気が回復するかも知れません。
好むと好まざるとにかかわらず、トランプによって世界は変わるでしょうし、AIも加速していくでしょう。
トランプ大統領をどう捉えるかの分断もコントラストが強くなっていくように思います。

だからこそ、ロボマインドのエンジニアリング思考と、
岡田斗司夫さんのカルチャー思考を行き来しながら、
「修正可能なシステム」と「知恵を軸にした文化」を同時に育てることが鍵になるでしょう。
物語とリスト、知恵と力、聖典と科学──情報の二面性を抱えたまま、私たちは次のページへ進みます。


最後までお読みいただき有り難うございました!


追記

AIを暴走させない為の一つのアイデア


AIは瞑想で賢くなる?仏教の知恵が超知能の安全性問題を解決する方法(2025-04)【論文解説シリーズ】
1. 主要な発見:
この研究の最も重要な発見は、【コンテンプレーティブAI】(瞑想的AI)アプローチがAI安全性の向上に効果的であることを実証した点です。特に「AILuminate」ベンチマークを用いた実験では、GPT-4oに【マインドフルネス】、【空性】、【非二元性】、【無限の思いやり】という4つの【仏教的アプローチ】を組み込んだ場合、標準的なプロンプティングと比較して有意な安全性向上が見られました。これら4つの原理を組み合わせた【コンテンプレーティブAI】手法が最も効果的であることが示されました。

2. 方法論:
研究では【アクティブ推論】理論をベースに、【AI安全性】のための【内在的アライメント】手法を提案しています。具体的には【仏教的アプローチ】から導出した4つの原理を、【コンテンプレーティブAI】アーキテクチャ、【憲法的AI】、【チェーンオブソート】強化学習という3つの実装戦略で統合しています。改善点としては、【瞑想的知恵】の計算モデルをより厳密に定式化し、複数の宗教・哲学的伝統からの洞察を取り入れることで、より普遍的なアプローチに発展させる可能性があります。

AIアライメント:外部制御か、内なる価値観か?

上記の図(Figure 3)は、AIアライメント戦略を根本から考え直すうえで非常に重要な示唆を与えてくれます。AIが人類の知能を超える未来を想定したとき、「人間が外からAIを制御する」という従来の考えでは限界があるという警鐘です。

左の図:従来の外部アライメント右の図:提案された内部アライメント
  • 青い矢印=人間がルールや監視でAIを制御
  • AIが人間の集合知を超えると制御が効かなくなる
  • 最終的にAIの目標が人類から乖離するリスクが高まる
  • AIに「Wise World Model」=賢明な世界観を事前に学習させる
  • 外部制御に頼らず、AI自身が人間に整合した目標を維持
  • 知能が高まっても、安定して人間と協調し続ける

この図の本質的なメッセージ:
「高度AIの時代には、罰やルールによる外的コントロールではなく、AI自身の“内なる価値観”をどう設計するかが最重要課題になる」ということです。

この研究では、この「内部的アライメント」戦略が単なる理論ではなく、実際に有効であることを示す実験も提示されています。AIの未来において、本質的に“共に生きる”方法を模索するための重要な視点です。






アートとデザイン:創造のプロセスとその社会的役割

アートとデザインは、創造的表現の二大領域としてしばしば比較されます。
たとえば、ピカソの『ゲルニカ』は戦争の悲劇を訴えるアートとして問題提起を行い、
逆にイームズ夫妻のチェアは人間工学に基づいた快適さを提供するデザインとして評価されます。
こうした違いを理解することで、それぞれの本質や社会的役割を深く探ることができます。



アートとデザインのプロセスと完成

アートの制作過程は、しばしば人生の流れに例えられます。
制作中の作品は生きているようなものであり、完成は死を迎える瞬間と捉えられます。
絵の完成が「死」と喩えられるのは、絵を描くという行為そのものが目的である場合が多いためです。
したがって、未完の作品であっても、それ自体が一つの表現として成立し得るのです。

一方で、デザインはプロセス自体を目的とすることはほとんどなく、最終的な完成が重視されます。
デザインが途中で終わった場合、それは未完成ではなく「失敗」と見なされる傾向があります。

デザインのプロセスは、しばしば妊娠期間に例えられ、完成は新たな生命の誕生と見なされます。
たとえば、ザハ・ハディドによる「ロンドン水泳センター」は、構想から完成までに長い時間を要しましたが、完成後はオリンピック会場としての役割を果たしました。
完成した建築物は、その後の使用や機能を通じて社会に貢献し続けています。



デザイン思考とアート思考の違い

デザイン思考は、ユーザーのニーズを中心に据え、具体的な問題解決を目指す手法です。
これに対し、アート思考は、自己の内面的な動機や視点から出発し、社会や自己に対する新たな問いを生み出すことを重視します。
森永(2021)によれば、デザイン思考は人間中心の視点で問題解決を図るのに対し、アート思考は自分自身の思いを大切にし、
問題提起を行うとされています。

ただ、デザインにも問題提起はあります。「スペキュラティヴ・デザイン(思索的デザイン)」という概念は、
未来の可能性や社会的課題を探求し、観客に深い思索を促すデザイン手法です。
森永(2021)は、スペキュラティヴ・デザインが社会に対する問題の投げかけや、起こり得る未来を暗示するためのデザインであると述べています。



アートとニートの社会的役割の類似性

アートは、直接的な機能や実用性を持たないことが多く、社会からは一見無用に見えることがあります。
たとえば、マルセル・デュシャンの『泉』は、ただの小便器を展示することで「これはアートなのか?」という根源的な問いを投げかけ、
従来の価値観を揺さぶりました。また、草間彌生のインスタレーション作品も、実用性は皆無でありながら、
多くの人々に深い感情や精神的な体験を提供しています。

このように、アートの存在は社会に新たな視点や価値観を提供し、重要な役割を果たしています。
これは、社会的に「ニート」と呼ばれる人々の存在とも類似しています。
彼らは、一般的な労働市場には参加していないものの、社会の在り方や価値観に対して重要な問いかけを行う存在として捉えることもできます。
石井(2007)は、「ニート」批判を再考し、彼らの存在が社会に対する新たな視点を提供する可能性を指摘しています。



まとめ

アートとデザインは、それぞれ独自のプロセスと目的を持ちながら、社会に対して重要な役割を果たしています。
アートは問題提起を通じて新たな視点や価値観を提供し、デザインは具体的な解決策を通じて人々の生活を豊かにします。
これらの理解を深めることで、創造的な活動の多様性とその社会的意義を再認識することができます。



参考文献




・絵画制作中とは絵にとっての人生であり、絵の完成はすなわち「死」である。そして作品発表は「死後の世界」となるので、絵画には「涅槃性」がある。
・よく「ビジネスにはアート思考が必要だ」とか「地域活性化をアートで」とか言われるが、アートはそんな簡単に社会化できない側面がある。例えるならニートのようなもので、ニートとはその家庭がある程度恵まれていて親が優しいから起こる現象でもある。故にニートとはその存在自体がなんらかの問題提起であり、結構根が深く厄介なのだ。この煮ても焼いても食えない感じこそアートの軸足なのではないだろうか?
という私感をアートとデザインの違いについてという切り口でChatGPTに文と絵を生成してもらいました。
生成AIがどこまで自分と馴染むかの実験でもあります。
なんかとってもフツーのことを言ってる感に馴染ませてくれるんで面白いです。

最後までお読みいただき有り難うございました!