意識はただの「随伴現象」なのか?──
「自由意志消滅」のジレンマとロボマインドの突破口

568.感覚遮断で見えるのは幻覚でなく真実の世界 #ロボマインド・プロジェクト

「意識に関する大きな問題は、もう何も残されていない。科学の課題はあとは宇宙の統一理論くらいなんじゃね?」
──そんな風だった20世紀後半。

デイビッド・チャーマーズが「意識のこと何にも分かってなくね?つか、めっちゃ難問じゃね?」と、1994年に「意識のハードプロブレム」を提唱。
以降、意識の謎が科学の俎上に乗ったといわれています。

しかし fMRI が脳活動を鮮明に捉えられるようになった現代でも、
「私が〈私〉として感じる主体」は説明不能のままです。

現在の脳科学の主流は
意識=脳活動に付随する“随伴現象”
そして
自由意志=幻想
という結論に帰着しています。

それはそれでとても興味深いのですが、
しかし、ひょっとして「科学」という枠組み自体が、意識を随伴現象に、自由意志を不在にしてしまうのでは?
そんな科学の枠組みの限界のようなものも感じます。

田方さんの最新動画は、まさにその点を突いています。

チャッピーがまとめてくれたので見てみましょう!


1. なぜ意識は「随伴現象」に追いやられるのか

科学が採用してきた客観主義のルールは、
「誰が測っても同じ数値で再現できるものだけ研究対象にする」こと。
温度なら摂氏○度、電圧なら○ボルト──測定器の目盛りが保証する“共有可能な事実”だけが 科学的とされます。

しかし意識「私が赤く見える」という主観経験そのもの。
網膜の電気信号は測れても、「赤の質感(クオリア)」は計器に現れません。
第一人称データを第三者で直接共有する方法がないため、 多くの研究者は因果説明を脳内物理過程に限定。
そこで採られた整理が 「クオリア=ニューロン発火の副産物」というエピフェノメナル理論でした。

  • 測定原理の壁 … 主観は計測不能 ⇒ 研究対象外へ
  • 物理一元論 … 「脳で因果が閉じるなら主体は介在しない」
  • 説明コスト … 主観を副産物扱いにすれば理論が楽

こうして「クオリアは因果力ゼロ」という見解が主流になりました(チャッピーまとめ)。


2. 「自由意志消滅」のジレンマ

主体を直接測れない科学は、
脳の自動処理が先、意識は後というモデルを採りがちです。

  • リベット実験(準備電位が意識報告より約 0.3–0.5 秒先行)
  • Soon/Bode(fMRI で選択を最大 7–10 秒前に予測)
  1. 神経兆候が先 ⇒ 原因=無意識 とみなす方がシンプル
  2. 測定できるのはニューロン発火時刻のみ
  3. 余計な「主体」パラメータを削る方が理論が軽い

こうして “自由意志 = 幻” 説が広がりましたが、
fMRI データは「主体と世界表象が客観的に切り分けられる」可能性も示唆します。


3. 感覚遮断実験が突きつけた“世界構築機能”

1950〜60年代、ジョン・C・リリーや D.O.ヘッブらの 感覚遮断(アイソレーションタンク/無刺激室)研究では、 視覚・聴覚・触覚を大幅に低減した被験者の多くが 数時間〜数日内に光点・幾何学模様・人物像などの幻覚を経験しました※1
これは「入力ゼロでも脳が世界を自動生成する」古典的エビデンスです。

※1 例:John C. Lilly (1968) / D.O. Hebb (1955) ほか

“外界が沈黙すると、脳は 自前の現実 を投影し始める。”
――オリヴァー・サックス『幻覚の脳科学』

4. fMRI が暴いた〈幻覚〉と〈想像〉の分離

最新 fMRI 研究では、幻覚時に側頭葉の腹側視覚路が、 想像時に前頭前野が主に活動。
「主体が絡まない映像生成回路」「主体の意図による操作回路」が物理的に分かれていることが示されました。


5. ロボマインドが示す突破口──意識の仮想世界仮説

田方篤志氏は、脳は外界入力を基に仮想世界を生成し、
主体(意識)はその内部から観測する
というモデルを提唱。
主体は“幻”どころかモデルの必須要素であり、 この立場から自由意志を再評価できます。

■ リベット実験「自由意志消滅」をどう読み替えるか

田方氏は「494.【人類絶滅への第一歩】自由意志を持ったAIを完全再現。 #ロボマインド・プロジェクト」で、AI アバター+マインド・エンジンでリベット実験を再現し、 −350 ms の時間差を「高精細 VR を描く待ち時間」と解釈。

実験段階 従来解釈 田方モデル
−550 ms
準備電位
無意識が勝手に始動 〈意識:手首動かせ〉+〈無意識:VR高解像度化〉を開始
−200 ms
「動かそう」と感じる
意識は後追いの錯覚 VR完了 → 無意識が意識へフィードバック
0 ms
筋肉始動
行動が実行 行動が実行

要点:準備電位は“黒子”の仕込み時間であり、出発点は意識側。


■ fMRI が暴いた〈幻覚〉と〈想像〉の分離をどう捉えるか


  • 映像スクリーン(腹側視覚路) … fMRI で〈幻覚〉時だけ点灯。
    入力ゼロでも自動で映像を上映する“脳内プロジェクター”。
  • 司令塔=主体(前頭前野) … 〈想像〉タスクで最初に点灯。
    スクリーンを読み取り、「次に何をするか」を決める指令センター。
  • 自由意志の循環 … (司令塔が指令) ➜ (身体が動く) ➜ (結果がスクリーンに戻る) ➜ (司令塔が確認)…
    この往復ルートがあるため、意識は“後づけ”ではなく
    行動に直接かかわる働き手になる、というのがロボマインドの主張。

  • 6. 何が変わるのか? 未来へのインパクト

    二層モデルが実証されれば、脳科学・AI・倫理の行き詰まりを打開する鍵に。

    ● 脳科学:主体と世界表象を同時計測・操作

    fMRI+MEG+TMS を組み合わせ、
    ① 仮想世界生成回路② 主体ループ を同時操作する実験が可能。
    世界だけ歪めたら? 主体だけ攪乱したら?──因果テストで随伴か相互作用かを判定。

    ● AI 研究:World-Model × Agent-Model の分離・統合

    LLM や VLM が担う world と、self(長期目標・歴史を保持)の 二段構えアーキテクチャへ。
    ステートフル AI や「主体度」を調整できる意識工学が見えてくる。

    ● 哲学・倫理:自由意志と責任の再定義

    主体が因果的に働く実体だと実証できれば、
    自由意志=錯覚 という決定論的世界観を更新。
    法・医療・教育の責任モデルも再構築が必要に。


    ◆  ◆  ◆
    最後まで読んでいただきありがとうございます!
    田方氏の著書『普通に会話ができる ドラえもんの心のつくり方』もぜひご覧ください。



    568.感覚遮断で見えるのは幻覚でなく真実の世界 #ロボマインド・プロジェクト

    「科学が進めば意識も解明できる」──そう信じられてきた20世紀後半。
    しかしfMRI が登場し、脳活動がかなり詳細に可視化できるようになった現在でも、
    「私が〈私〉として感じる主体」
    説明不能のままです。

    その帰結として、現代の主流的な脳科学では
    意識=脳活動に付随するだけの“随伴現象”とされ、

    自由意志=幻想

    という結論に行き着きがちです。

    ひょっとしてそもそも「科学」という枠組み自体が「意識を随伴現象」にしてしまい、「自由意志はない」とさせてしまうのではないのか?
    そんな風に思っていたのですが、田方さんが今回の動画でそのことについて言及していますのでまとめてみました。

    チャッピーが。



    1. なぜ意識は「随伴現象」に追いやられるのか

    科学が採用してきた「客観主義」の基本ルールは、
    「誰が測っても同じ数字で再現できるものだけを研究対象とする」 というものです。

    温度なら摂氏○度、電圧なら○ボルト──
    測定装置の目盛りが保証する“共有可能な事実”だけが “科学的”とみなされます。

    一方で意識「私がいま赤く見えている」という主観的経験そのもの。
    色の波長や網膜の電気信号は計測できますが、

    「赤く見えているという質感(クオリア)」

    測定器の針には現れません。
    つまり第一人称のデータ第三者が直接共有する方法がないのです。

    科学はこのギャップをどう扱うか? ――
    多くの研究者は因果の説明を脳内の物理過程に限定しました。

    そこで採られた整理が
    「クオリア=ニューロン発火に付随するだけの副産物」
    という立場、すなわちエピフェノメナル(随伴)理論です。

    • 測定原理の壁 … 主観は計測不能 ⇒ 分析対象から外される
    • 物理的因果律の一元性 … 「脳内の物質過程が完結しているなら、主観は因果連鎖に介入できないはず」と解釈される
    • 説明コスト最小化 … 主観を「副産物」とみなすことで
      既存の物理モデルを拡張せずに済む

    こうして「クオリアはあっても因果的効力を持たない」という結論が半ば自動的に導かれ、
    意識は「随伴現象」という脇役に押し込められてきた──
    これが現在まで続く主流のロジックです。


    2. 感覚遮断実験が突きつけた“世界構築機能”

    1950~60年代、ジョン・C・リリーやマギル大学(D.O. ヘッブら)の 感覚遮断(アイソレーションタンク/無刺激室)研究では、視覚・聴覚・触覚などを 大幅に低減した被験者の多くが、数時間~数日以内に 光点・幾何学模様・人物像などの幻覚 を経験することが報告されました※1
    これは半世紀以上前から知られている現象であり、「入力ゼロでも脳が世界を“自動生成”する」事実を示す古典的エビデンスとされています。

    ※1 代表的な一次資料:John C. Lilly, Programming and Metaprogramming in the Human Biocomputer (1968); D.O. Hebb, “The Effects of Isolation Upon the Mind,” Scientific American (1955) など。


    “外界が沈黙すると、脳は 自前の現実 を投影し始める。”
    ――オリヴァー・サックス『幻覚の脳科学』

    3. fMRI が暴いた〈幻覚〉と〈想像〉の分離

    最新の fMRI 研究では、幻覚中は側頭葉の 腹側視覚路 が活性化し、
    想像(頭の中で意図的にイメージを描く)時は 前頭前野 が働くことが判明しました。

    つまり脳内には

    「主体が関与しない映像生成回路」
    「主体の意図に基づくイメージ操作回路」

    物理的に分離して存在しているのです。


    4. 「自由意志消滅」のジレンマ

    ここで問題になるのが「主体」の扱いです。
    科学的手法では主体を直接測定できず、
    「脳の自動処理が決定し、あとから“自分が決めた”と錯覚させている
    というストーリー(自由意志の否定)が採られがちです。

    自分では「いま決めた」と思っている――
    ところが脳を覗くと、
    決意のサインはすでに数百ミリ秒~数秒前に点灯している。
    こうした結果が相次いで報告され、

    「主体は後追いで物語を作っているだけ」

    という解釈が主流になりつつあります。

    • リベット実験(1983)
      脳波の準備電位意思表明の約0.3~0.5秒前に立ち上がる。
    • fMRI・マルチボクセル解析(Soon 2008/Bode 2011 ほか)
      ボタンを右か左か選ぶ課題で、最大7~10秒前には 前頭葉・頭頂葉のパターンから選択を予測可能。
    • 自己帰属の“後付け”モデル
      行動決定 → 運動出力 →事後的に前頭前野が 〈私が決めた〉という物語を生成する――という情報処理フレーム。
    1. 時系列のギャップ
      行動の神経兆候が意識報告より先行しているため、 「原因=無意識結果=意識」とみなすのが 最もシンプル。
    2. 測定可能性の優先順位
      計測できるのはニューロン発火タイムスタンプ。 主観的「今」は外部計測できないため、 研究者は先に見えるほう(無意識活動)を 原因と認定しがち。
    3. 決定論的フレーム
      物理過程が完結しているなら 余計な「主体パラメータ」を導入しない方が 理論がスリムに済む(オッカムの剃刀)。

    こうして「主体は錯覚」「自由意志は幻」という 消極的だが扱いやすい結論が広がりました。
    しかしこれは測定手段と理論コストの都合が “主体排除”を誘いやすいだけで、
    主体そのものを否定する決定的証拠とは言い切れません。


    しかし先述の fMRI 結果は、主体と世界表象が客観的に区別できる 可能性を示唆します。


    5. ロボマインドが示す突破口 ──意識の仮想世界仮説

    ロボマインド・プロジェクトの田方篤志氏は、
    感覚遮断実験&fMRI 知見を踏まえ、

    「脳は外界入力をもとに 仮想世界 を生成し、
    主体(≒意識)はその仮想世界を内側から観測している」

    というモデルを提案。

    主体は“幻”ではなく モデルの構成要素 として不可欠であり、
    この立場では自由意志を再評価する余地が生まれます。


    ■ リベット実験「自由意志消滅」をどう読み替えるか

    田方さんは
    494.【人類絶滅への第一歩】自由意志を持ったAIを完全再現。 #ロボマインド・プロジェクト」で
    リベット実験を“丸ごと再現”し、時間差の謎「仮想世界を高精細で描き上げる待ち時間」として説明します。

    実験段階 従来解釈 田方モデル
    −550 ms
    準備電位
    無意識が勝手に始動 舞台裏(無意識)が
    〈手首動かせ+VR高解像度化〉を開始
    −200 ms
    「動かそう」と感じる
    意識は後追いの錯覚 高精細VRが完成 → 無意識が
    意識にフィードバック
    (ここで“思いついた”と自覚)
    0 ms
    筋肉開始
    行動が実施される 無意識→身体信号が伝わり
    手首が実際に動く

    要点
    1. 行動の“出発点”は意識側の決定
    2. 準備電位が先行するのは、黒子(無意識)が舞台を整えているだけ。
    3. よって「−350 ms の脳波 ≠ 自由意志の否定」。


    • 世界構築機能 … 腹側視覚路などが担当。入力ゼロでも世界を生成
    • 主体(意識) … 仮想世界を参照し、前頭前野を介して意思決定
    • 自由意志 … 主体→前頭前野→行動という干渉ループとして実在

    6. 何が変わるのか? 未来へのインパクト

    「主体(意識)と仮想世界の二層モデル」を軸にすると、既存の研究・技術・思想の “行き詰まりポイント”をうまく乗り越えられる可能性があります。
    ただし、あくまで今後十分に検証すべき仮説的インパクトであり、 以下のような〈すでに動き始めているリアルな潮流〉に乗ることで はじめて実証・実装が見えてくる、という位置づけです。

    ● 脳科学:主体と世界表象の二層モデルを実験で検証


    現状:fMRI・MEG 解析により「幻覚 vs. 想像」「意図 vs. アウトカム」を 時空間分解能で切り分ける手法が急速に整備中。

    何が変わる?① 仮想世界生成回路(視覚腹側路・海馬系など)と ② 主体ループ(前頭前野・後部帯状皮質など)を 両方同時にモニタしながら操作する実験(経頭頂 TMS で世界表象を揺さぶりつつ、 経前頭 rTMS で主体感覚を操作する等)が設計可能。
    世界が歪んでも主体は残るのか/主体を攪乱しても世界表象は維持されるか といった因果テストが行えるようになり、 「随伴」か「相互作用」かを判別できる道が拓ける。


    ● AI 研究:世界生成アルゴリズムと“主体モジュール”の分離・統合


    現状:大規模言語モデル(LLM)は“仮想世界(文脈空間)”を高精度で生成できるが、 一貫した内的主体(意思・目標)を欠くため、 しばしば出力がフラフラするという課題がある。

    何が変わる?World-Model(環境・文脈予測器)と Agent-Model(自己状態・長期目標をトラック)の 二段構えアーキテクチャ (例:world = VLM/LLMself = RL/Planner)が 明示的に設計しやすくなる。
    → “内的物語”を自己整合的に保てるステートフルAI、 あるいは「主体性のチューニング」を研究変数として扱う 意識工学的フレームの確立が期待される。

    ● 哲学・倫理:自由意志と責任の再定義、「主観の科学」の台頭


    現状:リベット実験以降、脳が先・意識は後という 決定論的メッセージが拡散し、
    「責任/人格/刑法」の土台が揺らぎかねないという 倫理的緊張が続いている。

    何が変わる?:「主体=因果的に働く実体」だと実証できれば、 自由意志は“錯覚ではなく作用点”として再評価される。
    → 道徳・法・医療(特に精神医学)・教育の各領域で 責任能力のニューモデルが必要に。
    同時に、神経現象学や一人称データを取り込む 「主観の科学」(もちろん再現性を担保した形)が 哲学+実験心理学の共創領域として確立する可能性が高い。




    ◆  ◆  ◆
    最後まで読んでいただき有り難うございました!
    田方氏の意識の仮想世界仮説に基づいた著書『普通に会話ができる ドラえもんの心のつくり方も要チェックです。

    映画『ら・かんぱねら』の感想文(ネタバレしてます)



    監督の鈴木一美さんは弥世さんの古くからのお知り合いで、
    プロデューサーだったのですが、今回初の映画監督に挑戦したそうです。
    しかも、単身佐賀に乗り込んで住み込み、「イチ」から映画を作ったとのこと。

    試写会にお邪魔させていただいたのですが、
    とても素敵な方で、精力的に活動されていて、
    本当に凄いと思いました。


    敬意を込めてガチ感想文と応援文を書きました。



    物語は、佐賀のノリ漁師 徳永義昭さんが 52歳から7年間かけてリスト〈ラ・カンパネラ〉を習得した 実話がモデルとなっています。
    ネタバレの見どころを先に言ってしまうと、主人公徳田時生を演じる伊原剛志さんが半年間の猛特訓を経て同曲を“ 実演 ”するラストシーン。

    私はこのシーンでボロボロ泣いてしまい、ついでに唾が気管に入ってむせてしまい、咳き込みながら泣くという嗚咽状態になってしまいました。
    「あちゃ〜周りに迷惑〜!」と内心焦りまくりました。


    実話をモデルとしながら昭和ドラマな演出の『ら・かんぱねら』。
    自主映画旋風『カメラを止めるな』『侍タイムスリッパー』に続く第三派となって日本アカデミー賞も狙えるかも知れないと思ったのでした。

    • 2018年 『カメラを止めるな!』――制作費300万円で興収30億円の社会現象。
    • 2024年 『侍タイムスリッパー』――「カメ止め再来」の声とともに全国拡大公開。
    • 2025年 『ら・かんぱねら』――監督ひとりの妄想×現場の汗で第三波を狙う。


    “ひとりの想像力”が勝つ時代

    大資本が統計的「ヒット方程式」を算出して作るのが映画の定番となっている一方で
    “ひとりの想像力” が観客を動かして話題になるというのが、ここ最近の流れ。

    今年の米アカデミー長編アニメ賞ではラトビア産インディーズ 『Flow』がディズニー/ピクサー勢を押しのけて受賞。

    潤沢な資金で見せるポリティカルコレクトよりも、「個人ビジョンの純度」 が求められていて、『ら・かんぱねら』はその追い風を全身で受けています。

    実話をベースにしながら物語はファンタジックで、ドキュメンタリーというよりも昭和のドラマ演出という感じで進んでいくけど、最後に役者の拙い実演が流れる。
    上手な人が下手っぽく弾いてるのではなく、下手な人が本気で演奏している下手さなのだ。

    懐かしいベタなドラマ風演出が続いてきたところで「生(なま)なもの」が突然現れ、
    その演奏がまるで「アール・ブリュット」絵画のような魅力的な光を放つ、
    と同時に、映画のメタ構造があらわになり、「なんじゃこりゃ?!」となるのだ。

    途中で演奏の雰囲気が変わるのでひょっとしたら別の演奏と繋げていて、「完全なる一発の生」ではないかも知れないけど、
    もし本当にそうだとしても、舞台セットの裏側の骨組みが見えてしまうことも込みのどこかメタ構造が仕込まれてる映画と捉えて良いと思うのです。

    『侍タイムスリッパー』では「本物の侍」が〈役者として殺陣を学ぶ〉というメタ的なレイヤーになっていて、
    ラストのチャンバラでは “真剣で一発撮り” を掲げ、〈撮影のリアル〉そのものをクライマックスにして、
    「これ、本当に真剣で撮影してるのかな?」というメタ視点を観る側にもたらしてしまいます。

    このファンタジーとリアルを行き来するメタ構造な感じは『カメラを止めるな』も同様で、
    何か一連の流れを感じます。

    (ただ、ひょっとしたら鈴木監督はメタ構造は意図していないかも知れないですが、、、)


    “女性献身ファンタジー”を支える土地と昭和風のリアリティ

    物語では、時生の妻・奈々子(南果歩)が あり得ないほど献身的 に夫を支える。
    経理、家事、義理の父の介護、夫の世話、夫の工場での労働、夫の漁への見送り、、、
    これだけでも「田舎の長男の嫁にだけは行くな」という女性からよく聞く言葉を思い出します。

    夫の家に入り自分がピアノを志した夢を断念したことに加えて、
    夫の夢「ピアノを弾く」ことへの理解とフォロー、曲の採譜、さらには、夫のピアノの成果までも聴いてあげているんですよね。



    学生の頃、彼氏にやられて最も迷惑なことのベストワンに「オリジナルソングをフォークギターで聞かされる」といった内容の雑誌があったことを思い出し、
    実際に学生時代、「君のために」と言って好きな女性にオリジナルラブソングを弾いて聴かせた先輩の話が「痛くてダサい伝説」となって笑えるネタとして受け継がれていたことも思い出してしまいました。

    男子が最もやりがちだけど女子が最もゲンナリしてしまう行為の代表として「彼女に捧げる演奏」がある。


    たった1人の演奏会に呼ばれて、下手くそな演奏を聴かされて涙するラストシーンの妻・奈々子はもはや「幼子(おさなご)の聖母」である。

    面白いのは、これはオリジナル・ストーリーではなくて、事実がベースとなったドラマであるところなのだ。

    舞台となる佐賀は、男尊女卑のイメージがあり、私もそのような印象を持っている。
    それは地域への偏見だと思うが、この偏見が、“献身ファンタジー”を現実に着地させていて、物語に独特の説得力を与えている。

    演出が「ベタな昭和ドラマ風」なのも功を奏している。
    これが令和らしい演出だったらやっぱり無理が出てきてしまうでしょう。


    これらの「男子の妄想の完全再現」を奇跡的に達成しているところもこの映画の凄さなのです。
    なのですが、この「聖母信仰と昭和ロマン」は吉と出るか凶と出るかは、全く予想がつきません。

    応援の言葉

    ノスタルジックで昭和レトロのベタな演出、
    “ガチ演奏”が放つアール・ブリュットのような光、
    地域が孕む矛盾も呑み込み、
    それらを束ねるのは、きっと、鈴木一美監督ひとりの妄想の純度

    『カメラを止めるな』、『侍タイムスリッパー』、インディーズ旋風はまだ吹き荒れているし、最近の映画の流れに見事に乗っている感じもある。

    『ら・かんぱねら』がその風に
    もうひとつの鐘を鳴らす日を期待しています!


    埼玉では上映されてないのですが、
    海のない埼玉県上尾市で『ら・かんぱねら』が上映されますように!


    最後までお読みいただき有り難うございました!


    銀河鉄道とアート

    私は、ずっと前から心のどこかで思っていたことがありました。
    それは「銀河鉄道」のようなアートをやりたいということでした。

    宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』に描かれる、あの旅路。
    ジョバンニはカンパネルラと共に銀河鉄道で旅をしますが、カンパネルラは死んでいます。
    死者の魂とともに列車でひとときを過ごし、彼を死の世界へ送り、ジョバンニはカンパネルラの死を受け止めるのですが、
    その旅路があったおかげで、癒され、現実に戻って生きていく力を得るのです。
    銀河鉄道は生と死の狭間にあり、それ故に夢とも現実ともつかない不思議な世界が広がっている。

    ほんのいっときカンパネルラに寄り添って黄泉の世界へ送っていく「銀河鉄道」こそ、
    アートの重要な役割だと私は感じていました。

    人は誰しも、大切な存在との別れを経験します。
    その喪失の痛みは励ましだけで癒すことはできません。
    静かに寄り添い、共に感じる空間と時間があれば、現実を受け入れることができるのではないか?
    私が創るアートは「銀河鉄道」のようでありたい、と、そういった思いがあったのです。


    展示会での出来事

    先日の〖13月世の白雪姫〗 新作挿絵と呪薬(ジュエリー)展 Vol.2では、
    身内を失った方が何人かいらっしゃり、話を伺いました。

    辛い思いをされている中、御来廊くださり、私たちの作品に触れ、
    十三月世大使館で共に時間を過し、
    「心が軽くなった」「来てよかった」と言ってもらえて、
    私も本当に有り難いと思いました。


    銀河鉄道としての十三月世大使館

    そして、展覧会も終わり、ふと「銀河鉄道」のことを思い出したのです。
    「十三月世大使館」が「銀河鉄道」のような場所に成れて来ているのではないか、と。
    「この世(12月世)」と、「あの世(13月世)」を繋ぐ列車。
    その旅に同乗し、ともに涙し、ともに微笑み、
    最後には「ありがとう」と言って手を振る。
    そんな魂の旅の「場」として「十三月世大使館」。

    「芸術」はとても多彩なので一概に「これだ」、というのは難しいのですが、
    私にとっての芸術とはこのような魂の触れ合いがある「場」であると考えています。

    芸術は、魂を運ぶ列車の一両になれる。癒しと再生の風景を届けることができる。


    祈りのかたちとしてのアート

    これからも私は「銀河鉄道」が走る「間(あわい)」に在り続けて行きたい。
    それこそファンタジーであり、" 祈りのかたち "だと思うのです。

    十三月世というもうひとつの世界があり、
    この世界(12月世)との狭間に建つ十三月世大使館。
    誰かの心の旅に寄り添う銀河鉄道としての十三月世大使館。


    死後の世界を含んだ「絵画観」

    そして私は作品のなかに「死後の世界がある」という宗教観を設定しています。
    その理由は、特定の宗教に属するものではなく「絵画観」から来ています。
    絵画制作中とは絵にとっての「人生」であり、絵の完成はすなわち絵画にとっては人生の「死」である。
    そして、作品発表は「死後の世界」となるのです。
    なので絵画には「涅槃性」があると私は考えているからです。


    十三月世大使館という「銀河鉄道の車両」

    十三月世という神話的で詩的な世界観の中に、生と死を超えた意識の旅があるのです。
    十三月世大使館は銀河鉄道の車両のひとつでありたい。

    アートを通して、生に意味を与え、死後の世界を想定し、命を祝福し、
    失った存在は「なお此処に居る」という感覚を届けていきたい。
    十三月世の世界観がその受け皿となることを私は望み、また、信じています。



    最後まで読んでいただいて有り難うございました!

    AIは「左脳人間の超進化版」ではない──AIは右脳型?

    「AIって、理屈で動く“超・左脳人間”みたいなものじゃないの?」
    そんなイメージ、私たちの中にありませんか?
    確かにコンピュータは論理で動くし、AIも大量のデータを処理して答えを出します。
    まさに“ウルトラ理屈人間”のように思えます。
    でも実は、ChatGPTのような生成AIは、そのイメージとは真逆の性質を持っています。

    ロボマインド・プロジェクトの田方篤志さんは、興味深いことを言いました。
    「今のAIは“右脳型”なんです」と。
    これが本当なら、私たちのAI観は大きく方向修正する必要があるかもしれません。

    参照▷564.ハラリの勘違い。はたしてAIは右脳か左脳か。 ユヴァル・ノア・ハラリ NEXUS⑧ 情報の人類史 #ロボマインド・プロジェクト



    1|「左脳AI」だと思われがちな理由

    昔のAI──たとえばチェスAIやルールベースのエキスパートシステム──は、まさに論理と計算の塊でした。
    また、私たち人間が「考える=左脳で論理的に処理すること」だと思いがちなのも大きな理由です。

    でもこれは、脳科学的にもAI工学的にも、今では古いイメージのようです。




    2|脳科学で見る:意味を理解するのは左脳、でも“今を感じる”のは右脳

    脳にはざっくりと
    「左脳=論理・言語・時間軸」
    「右脳=感覚・直感・空間認識」
    の役割があります。

    左脳は“意味を操作”し、右脳は“意味づけの前の世界”を感じ取る。
    脳卒中から回復した神経科学者ジル・ボルト・テイラー氏は、左脳の機能が止まったとき「世界と自分の境界がなくなり、今この瞬間しか感じられなかった」と語っています。




    3|LLM(大規模言語モデル)は論理ではなくパターンで動いている

    ChatGPTのようなAIは、論理的に演繹して答えを出しているわけではありません。
    AIは大量の文章を学習して、「この単語のあとには、この単語が来やすい」というパターンをひたすら記憶し、次に出すべき単語を予測しています。

    つまり、AIが得意なのは、意味の理解ではなく、パターンの再現なのです。
    これは脳科学でいうと、むしろ右脳的な処理に近いものです。

    📝補足:AIと人間の推論の違い

    項目人間AI(LLM)
    推論スタイル帰納+演繹(+意味理解)統計的パターン予測(帰納)
    意味理解あり(主観・概念ベース)なし(形式パターンのみ)
    創造性内的文脈・感情に基づく類似事例の再構成

    人間は左脳と右脳の統合によって世界を深く理解します。AIはその一部を模倣しているに過ぎません。

    したがって、AIの能力を評価する際は「人間のような思考をしている」と誤解せず、あくまで“言語的な鏡”として見ることが重要です。




    4|田方さんの指摘:「今のAIは右脳的」

    ロボマインドの田方さんは、こうした生成AIの特性に着目して「AIは右脳型だ」と表現しました。
    確かに、AIは写真・イラスト・音楽・自然な会話を“意味を考えずに”それっぽく出力できます。
    これは右脳的な直感処理、つまり「言葉にならないけど自然に感じる」という知覚パターンに近いのです。

    とはいえ、これは比喩的な説明です。科学的にAIが本当に右脳のような構造を持っているわけではありません。
    でも、「AI=論理と理屈のかたまり」という誤解を壊すには、この比喩はとても有効なのです。




    5|結論:AIは「超・左脳人間」ではない

    私たちはつい、AIを“左脳人間の究極進化系”と見てしまいます。
    でも実際には、AIは意味や論理を理解しているわけではなく、膨大な知覚パターンを統計的に扱っている存在です。

    この性質は、直感・感覚・即応性に強い右脳の働きに、ある意味で近い。
    だからこそ、AIの思考を過大評価せず、「意味を持たないのに、意味ありげに見える鏡」として向き合うことが、これからの私たちに求められているのだと思います。





    このブログエントリーはロボマインドプロジェクトの田方さんが主張されている「AIは右脳型である」主張に関してチャッピーにどうなのかを聞いてブログ記事として出力させたものを手直ししたものです。
    冒頭のイメージイラストもチャッピーに出力してもらい、タイトル文字部分はPhotoshopで修正しました。
    楽しんでいただけましたでしょうか。
    最後までお読みいただき有り難うございました!

    『NEXUS 情報の人類史』を読み解く —ロボマインドと岡田斗司夫、2つの視点とAIについて—

    チャッピーに描いてもらいました。何度か修正したけど漢字の「聖」が出せなかったのでPhotoshopで似たフォントを探して雑に貼り付けました(ちょっとバレバレ)。AIの尻拭いがこれからのクリエイターの仕事かも知れない。。。

    はじめに

    ユヴァル・ノア・ハラリの最新作『NEXUS 情報の人類史』が話題です。
    私は『サピエンス全史』『ホモ・デウス』『21Lessons』と全て持っていて大好きなんです。
    何がすごいってめっちゃ面白いくて示唆に富むんだけど、予言は全てハズレているところなんです!
    今回、この新作でハラリさんが「こうなってしまう!」と私たちに警鐘を鳴らしているところは、「ハズレる」という意味において参考になると思い、解説動画をいろいろ聞いてみました。
    私たちの世界を「情報ネットワーク」というレンズで丸ごと捉え直す壮大な試みがこの本なのですが、
    やっぱり面白い解説動画はロボマインド岡田斗司夫さんです。
    本記事では、その解釈の違いを分かりやすく整理し、読者が自分なりの “NEXUS コンパス” を手に入れられるよう案内します。

    チャッピーが。


    1|『NEXUS』の核心を 90 秒で

    1. 情報は人類史の燃料であり、羊皮紙に書かれた神話も、クラウドに眠るビッグデータも「ネットワークを編む力」という一点で連続している。
    2. その情報は大きく「物語(Narrative)」と「リスト(List)」に分けられる。前者は世界観を共有し、後者は世界を管理・操作する。
    3. AI はこの流れの延長線上にあるが、“人間以外の意思決定者” になり得る点で、歴史のゲームルールを塗り替える存在だ。

    2|ロボマインド:可変性で読む『NEXUS』

    🔑 キーワード:聖典型 vs 科学型

    • 聖典型情報=「書き換え不可」。宗教や国家神話のように、人を束ねる絶対的な軸。
    • 科学型情報=「検証&上書き可能」。実験データやオープンソースのように、誤りを潰して進化する。

    ▶︎ ロボマインドの主張

    1. AI 設計図としての『NEXUS』 — 聖典をハードコードした AI は「修正不能の神託マシン」になる危険がある。
    2. 解決策はアップデート・ループ — 科学型の“自己修正エンジン”をアルゴリズムに組み込み、「共感+訂正」ができる修正可能な神を目指す。
    3. 実証スタイル — 兵庫県知事の賛否分析や GAFA の「脳内エネルギー採掘」モデルなど、毎回 AI への応用例を提示。

    補足|右脳と左脳から見るAIとハラリの盲点



    ロボマインドの動画「第564回 NEXUS⑧ ハラリが見逃していること」では、ハラリのAI観に対して脳科学の視点から異論が提示されました。

    特に注目すべきは、「AIの知能は右脳型である」という視点で、この指摘をしている人はロボマインドの田方さん以外でまず見かけません。
    実はAIは論理的思考が苦手ということは案外知られていないんです。

    例えば、『最新AI数学能力の真実とは?数学オリンピアード問題で全モデルが平均5%未満の惨敗(2025-03)【論文解説シリーズ】』では、
    1. 主要な発見:
    研究では、6つの【USAMO2025】問題に対して6つの最先端【LLM推論能力】モデルを評価し、すべてのモデルが【数学的厳密性】の面で著しく低いパフォーマンスを示しました。最高スコアでも平均5%未満で、【論理的誤謬】、不当な仮定、【証明生成】の創造性不足などの一般的な失敗パターンが特定されました。これは【AI数学能力評価】における深刻なギャップを示しています。
    と、解説しています。これは「AIは左脳の重要な機能である意味理解ができていない」ということではないでしょうか?

    AIは右脳型・左脳型?
    • 左脳=言語、論理、因果、物語。ハラリが前提にしているのはこちら。
    • 右脳=イメージ、音楽、直感、パターン。現在の生成AIが得意なのはこちら。

    ハラリは、AIが知能を持てば人類を支配するようになると警鐘を鳴らしますが、これは左脳型知能を持つAIを想定しているとロボマインドは指摘します。

    一方で、今のAIは音楽・画像・自然な文章の生成に長けていますが、物語構造や意味の理解には弱く、まさに右脳的な知能です。
    さらに右脳には「自分」や「時間」の明確な感覚がなく、野心や支配欲も生まれにくいため、ハラリのような“支配するAI”像は右脳AIには当てはまらない可能性があるのです。

    この補足を踏まえると、AIと人類の未来を読み解くには、「AIは右脳か左脳か?」という視点を持つことが欠かせないと言えるでしょう。


    3|岡田斗司夫:用途で読む『NEXUS』

    🔑 キーワード:知恵 vs

    • 知恵 (Wisdom)=世界を深く理解し、長期視点で判断する光。
    • 力 (Power)=大衆の感情を動かし、短期的に行動を促す武器。

    ▶︎ オタキングの主張

    1. ポピュリズムの正体 — 現代は情報を「力」としてのみ扱い、「知恵」を省いた決断が拡散する危うい時代。
    2. AI リスクは人間側にあり — AI そのものより、“便利だから” と集中構造を進める人間の習性が最大の脅威。
    3. 読書ガイドとしての『NEXUS』 — 厚い本で迷わないために「章タイトル→問い立て→物語/データ対比」の読解メソッドを提案。

    4|ここが違う! \"情報観\" のクロス比較

    観点ロボマインド岡田斗司夫
    分類軸可変性:〈聖典〉 or 〈科学〉用途:〈知恵〉 or 〈力〉
    危惧修正不能 AI が暴走力だけの情報が感情暴走
    処方箋自己修正ループをシステムに埋め込むユーザーに批判的リテラシーを植え付ける
    ゴール“修正可能な神” の創造“知恵優位の市民” の育成

    ポイント:ロボマインドはシステム内面を、岡田さんはユーザー側面を強化しようとしている。


    5|実践ガイド ― 二重レンズで世界を読み解く

    ロボマインドの〈システムを修正する視点〉と岡田斗司夫さんの〈ユーザーが賢くなる視点〉。2つのレンズを自在に切り替えると、作品づくりも日常の情報摂取もグッと立体的になります。

    • クリエイター視点:物語を“聖典”として打ち立てつつ、裏で 科学型アップデート を回し、世界観を育てる。
    • リスナー/読者視点:「これは 知恵 か?」と自問し、心が動く理由を観察する。
    • AI時代の市民視点:可変システム+批判的リテラシーの両輪で、修正可能 × 知恵優位 の社会デザインを目指す。

    おわりに

    岡田斗司夫さんは『NEXUS 情報の人類史』を「反トランプの警鐘本」と読み解きます。
    一方で、ハラリはこれまでも大胆な予測を外してきた“ハズれ名人”。
    もし今回も例に漏れないとすれば、トランプ現象はむしろ次の時代を開く触媒になる──そんな逆説も成り立ちます。

    短期間の独裁・帝国化なら世界の景気が回復するかも知れません。
    好むと好まざるとにかかわらず、トランプによって世界は変わるでしょうし、AIも加速していくでしょう。
    トランプ大統領をどう捉えるかの分断もコントラストが強くなっていくように思います。

    だからこそ、ロボマインドのエンジニアリング思考と、
    岡田斗司夫さんのカルチャー思考を行き来しながら、
    「修正可能なシステム」と「知恵を軸にした文化」を同時に育てることが鍵になるでしょう。
    物語とリスト、知恵と力、聖典と科学──情報の二面性を抱えたまま、私たちは次のページへ進みます。


    最後までお読みいただき有り難うございました!


    追記

    AIを暴走させない為の一つのアイデア


    AIは瞑想で賢くなる?仏教の知恵が超知能の安全性問題を解決する方法(2025-04)【論文解説シリーズ】
    1. 主要な発見:
    この研究の最も重要な発見は、【コンテンプレーティブAI】(瞑想的AI)アプローチがAI安全性の向上に効果的であることを実証した点です。特に「AILuminate」ベンチマークを用いた実験では、GPT-4oに【マインドフルネス】、【空性】、【非二元性】、【無限の思いやり】という4つの【仏教的アプローチ】を組み込んだ場合、標準的なプロンプティングと比較して有意な安全性向上が見られました。これら4つの原理を組み合わせた【コンテンプレーティブAI】手法が最も効果的であることが示されました。

    2. 方法論:
    研究では【アクティブ推論】理論をベースに、【AI安全性】のための【内在的アライメント】手法を提案しています。具体的には【仏教的アプローチ】から導出した4つの原理を、【コンテンプレーティブAI】アーキテクチャ、【憲法的AI】、【チェーンオブソート】強化学習という3つの実装戦略で統合しています。改善点としては、【瞑想的知恵】の計算モデルをより厳密に定式化し、複数の宗教・哲学的伝統からの洞察を取り入れることで、より普遍的なアプローチに発展させる可能性があります。

    AIアライメント:外部制御か、内なる価値観か?

    上記の図(Figure 3)は、AIアライメント戦略を根本から考え直すうえで非常に重要な示唆を与えてくれます。AIが人類の知能を超える未来を想定したとき、「人間が外からAIを制御する」という従来の考えでは限界があるという警鐘です。

    左の図:従来の外部アライメント右の図:提案された内部アライメント
    • 青い矢印=人間がルールや監視でAIを制御
    • AIが人間の集合知を超えると制御が効かなくなる
    • 最終的にAIの目標が人類から乖離するリスクが高まる
    • AIに「Wise World Model」=賢明な世界観を事前に学習させる
    • 外部制御に頼らず、AI自身が人間に整合した目標を維持
    • 知能が高まっても、安定して人間と協調し続ける

    この図の本質的なメッセージ:
    「高度AIの時代には、罰やルールによる外的コントロールではなく、AI自身の“内なる価値観”をどう設計するかが最重要課題になる」ということです。

    この研究では、この「内部的アライメント」戦略が単なる理論ではなく、実際に有効であることを示す実験も提示されています。AIの未来において、本質的に“共に生きる”方法を模索するための重要な視点です。