若い頃に咲かせた花は 与えられたものでできている
終わったあとに咲く花は こしらえた花
若い頃に咲かせた花、成功や達成は、多くの場合、持って生まれた才能や親の影響や家庭環境といった「与えられたもの」によって支えられています。
しかし、中年に差し掛かり、与えられたものはいったん使い果たすと、
「ミッドライフクライシス」が訪れて、ここでいったんゲームもパーティも終了します。したかのように感じます。
けれど、
終わりを迎えると、また新たな始まりを迎えるのです。
そのときに咲かせる花は、自分自身で「こしらえた花」です。
小さな喜びや小さな幸せ、些細な好きなことを感じたら、それらを掬い上げて味わう、というもので、
これはひょっとしたら人生初の「能動性」の発露なのではないか? と思えたのです。
自分で拵えた花は小さくとも、非常に美しい。と、思いたいのです。
お見合い結婚と恋愛結婚、どっちが能動的か?
一見すると、恋愛結婚の方が能動的で、お見合い結婚の方が受動的に思えるかもしれません。
しかし逆かも知れないと思ったことがあります。
恋愛結婚は、恋に落ちるところから始まります。
恋は自分の意思ではどうにもなりません。
まさに「恋に堕ちる」という表現が示すように、「受動的」に感情が揺さぶられてしまうところから始まります。
一方、お見合い結婚は、自らの努力で相手を愛する必要性に迫られます。
わざわざ好きになる「能動的」な心を発動させなければなりません。
「お見合い」とはよくできたシステムだったんです。
恋に堕ちるという受動的なきっかけから始まる恋愛結婚は、恋が冷めた後に愛を育まなければなりません。
ずっと恋してられるならいいけど、なかなかそうはいきません。
恋愛結婚が増えて離婚率が増えた理由は様々あるでしょうが、
ひょっとしたら、「受動」から「能動」に切り替えることのハードルの高さがあるのかも知れないと思ったりもします。
このように考えてみると、
恋愛結婚は「受動的」な感情に基づき、
お見合い結婚は「能動的」な選択に基づいている、
と言えないでしょうか。
若い頃の情熱と受動性
若い頃には、とめどなくやりたいことが湧き上がってくることが多いものです。
これを象徴するかのように、80年代に活躍したバンド、レベッカの「モータードライブ」のサビの歌詞はこんな一節です。
(古くてすみません)
「やりたいコト ありすぎるの
あきらめられないけど 現実はシビア」
この詩に共感するティーンエイジャーが多かったからヒットしたのだと思います。
この、やりたいことが溢れ出してくる若い頃のエネルギーはキラキラと輝いて美しいものです。
しかし、
このような湧き上がって仕方がない感情に突き動かされてるってことは、
「受動的」であると捉えることもできます。
若い生命力と実家の太さに支えられたエネルギーは確かに何よりにも勝るものではありますが。
『不思議の国のアリス』に見る少女の受動性
この能動性と受動性の奇妙な逆転は、文学作品にも見られます。
『不思議の国のアリス』の主人公アリスは、一見さまざまな冒険をしているように見えます。しかし、
物語を読み返してみて分かったのですが、
アリスは理不尽な出来事に巻き込まれているだけで、実は「受動的」なキャラクターなんですよ。
当時の社会では、女性が受動的であることが無意識に求められていたのかもしれません。
女の子が不条理な時空に巻き込まれていくお話を即興で考えたルイス・キャロルには「少女は受動的」という無意識的なバイアスがあり、
また、女性側も「理不尽な境遇に遭う可愛い私」がどこかで合点がいって成立したのかも知れません。
『ガブリエル・ガブリエラ』における能動的な少女
そこで、もしアリスが時代のジェンダーバイアスに抑圧されることのない「能動的」なキャラクターだったらどうなるのか? と考え、
『怪盗アリス・エイリアンとロザモンド大聖堂』という作品で、
欲しいものは何でも盗んでしまう少女アリスを描きました。
怪盗アリス・エイリアンとロザモンド大聖堂/ガブリエル・ガブリエラ 316×228mm 2020年 |
彼女は自らの意思で行動し、世界に働きかけます。
少女に能動性を与えて完全に自由にしたら、アリスみたいに不条理なんかに巻き込まれないで、バンバン欲しいもの盗むでしょ、と。
そっちの方が少女でしょ、と。
古井由吉の言葉に見る創作の能動性
また、作家の古井由吉氏は「作家というのは書くことがなくなってからが勝負だ」と述べています。
これを受けて、筒井康隆氏は「なら仕方ない、よし、と思って。そう言われたら、何でも書けるわい」とインタビューで語ってます。
文章でも絵でも、
最初は湧き上がる表現衝動にかり立てられて始めますが、それは「受動的」な創作なのかも知れません。
そのまま枯渇することなく表現欲求が続く人は運が良いのです。
そんな人を天才と呼びますが、ほとんどいません。
やがて書くことがなくなると、多くの人は筆を折ります。
表現したいこと、言いたいこと、やりたいことがなくなるのです。
それはいたって普通のことです。
「好きなことがありません」と悩む大人がいます。
当たり前です。
子ども〜10代までは自然とそういうことが湧き上がるメカニズムになっていただけなんです。
20〜30代はその勢いで突っ走れるのです。
しかし、この先に「能動性」があります。
それは本当に些細なこと、小さなことから始まるのです。
結びに
人生において、若い頃は湧き上がってしまった何かに押されて動きますがそれはある意味で「受動的」であり、
やる気もやりたいこともなくなった中年以降に始める小さなことこそ、「能動的」なものかもしれません。
それは小さくても、美しい花です。
「終わったあとに咲く花は こしらえた花」
この小さな花こそが真の喜びなのかもしれません。
そして、「能動的な3歳児」になるのです(キリッ)
最後までお読みいただき有り難うございました!